カラーを学ぼうとする皆さんへ−はじめの一歩


カラーを学ぼうとするとき、初めての方は「どこから手を着けていいのかわからない」ということがあると思います。この項では、いったいどのようにして色が見えるのか、ということからお話したいと思います。

カラーとは目の前にあるようでいて、本当はないかもしれないもの・・・。

科学が今日のように発達していない昔、カラー、色彩は人々にとって実に神秘的なものだったようです。特に自然現象に観察される色、生命に欠かせない血液との関係は、色彩を神秘的なものとしてとらえるには格好の存在だったことでしょう。自然現象についてまわる色彩の存在は、色彩はその対象物を象徴するものとして捉えられていたようです。米国のカラーコンサルタントで、すでに故人となってしまいましたが、フェイバー・ビレンは色彩の歴史に関する著書を数多く残しています。その中で、彼は「色彩はルネッサンス以前までは、神秘学的な存在として扱われていた」と記しています。

神秘学的存在というのは、例えば生命に不可欠な赤は生や力を象徴する色、黒は死を象徴する色といった具合に、特定の色には特定の影響を人に与える力を持つものと信じられていたことをさします。その力がとても不思議だったのでしょう。こうした色の神秘性を重んじた色彩の使い方は、現在でも目にすることができます。白黒の垂れ幕や神社などに見られる朱や白の使い方、寺を彩る五色などはその事例です。

このような神秘学的立場から離れ、科学的な存在として色彩を考える人々も出現してきました。現在の色彩科学の基礎を与えた人物としてはなんといってもニュートンを抜きには語れません。ニュートンはその著「光学」の中で、光が色を生じさせる力を持っていること、白色光は実はさまざまな色が混ざった結果であることなどを明らかにしました。

一方、ドイツの文豪ゲーテも色彩の観察において示唆に富んだ論を展開しました。彼はニュートンの科学的立場には反旗を翻した人物ですが、心理生理的な色彩現象をことこまかに観察するという徹底した態度で、色の見え方と、その際に起こる現象を元に色彩の性質について考察しています。

科学が進んだ現在では、私たちは彼らを含め、実に多くの先達の知見を飛び越えて、色彩の事実に迫ることができるようになりました。科学的な存在としての色彩は、今では次の3項目によって定義されています。この定義がまずは色彩へのよき導入となるでしょう。

1.色彩は、私たちの視感覚の特性である。

2.色彩は、光の特性である。

3.色彩は物体の特性である。

この3つのうち、色彩を学ぶ以前の方に「色ってなんですか」という質問をすると、ほとんどの方は色彩は物の特性だという内容の答え方をします。つまり、「色は物に着いている」という考え方が圧倒的なのです。この答えは色彩の1つの特性であり、決して間違いではありません。でも、その物を見ている目の存在や、その物を今照らしている光の存在を忘れているのです。

色は物に着いているように見えます。が、本当にそうなのでしょうか?目をつぶってしまったら、その物は見えなくなります。その物を照らしている光がなければ、たとえ物があって、目を見開いていても物の色は感じられません。ですから、色は目の視感覚と物の存在と光の存在の3つが同時に存在して初めて私たちに「色」として見えているのです。このことをプロの方でもときどき忘れてしまいがちです。その典型的な実例を1つご紹介しましょう。

あるテキスタイルのメーカーを訪れた時のことです。待ち合わせにいた私の耳に、大きな怒鳴り声が聞こえてきました。

「どうしてくれるんだ。展示会は明日からなんだぞ!色が指定とこんなに違ってるじゃねぇか!いったいどんな仕事をしてるんだっ!徹夜でも何でもして、絶対に間に合わせろよっ!」

その大声の方向を見ると、染色業者とおぼしきスーツを着た中年男性と若い担当者の二人が、カジュアルな服を着込んだデザイナーと思われる数人に囲まれて青ざめた顔で小さくなっています。どうやら、染色の色が指定されたサンプルの色と違っていたために、しかられているようです。

このときの光景は今でもはっきりと覚えています。その場にいた6人ほどの全員が、目の前のサンプル色と染色された製品だけを見ているのです。皆、目の前の「物」しか見ていないのでした。私は、その場の照明に目をやりました。その部屋の天井は高く、光は暗く、そしてごく一般的な蛍光灯でした。もめているサンプル色は深い青でした。

確かに皆、色を見ているのです。が、色というものの持つ一種の「はかなさ」には誰も気づいていないようでした。物についている色は、確固としてそこにあるように感じます。しかし、それは目、背景色、光によって、いとも簡単に変わって見えてしまうものなのです。

デザイナーの方は考えなければなりません。その深い青を決めたとき、そのときの光は何だったのか。今怒鳴っている待合いの、応接室と同じ照明光だったのか。染色業者の方も考えなければなりません。私が染めたとき、きっと同じ色だったはずなのに、どうしてこの待合いでは色が違ってしまったのか。それはほんのちょっとした光のいたずらだったのです。

前に書いた色の定義の2。色彩は光の特性である。怒鳴っている場合ではありません。色を見るために下を向いている場合ではありません。上を見ましょう。光をみなければ始まりません。同じ光の元でなければいつまでたっても、物の色は一定には決まらないのです。

ですから、色を学ぶときには、光について学ぶ必要があります。また、目についても学ぶ必要があります。当然物体についても学ぶ必要がありますよね。これがはじめの一歩です。

色彩の2つの世界

音楽は、音波という物理的な現象が耳に聞こえるものです。その音は、動物でも、虫でも、ひょっとしたら聞こえているのかもしれません。でも、その音楽が楽しかったり、悲しかったり、懐かしかったりという「気分」は、虫が聞いているような音波とはまた違う、私たち人間の心の作用としてあります。

色の世界もこれと同じ側面があります。光は動物も虫も関知しているのでしょう。でも、その光によって感じる色を見て、悲しくなったり、嬉しくなったりするという感情は、動物や虫とはどうやら違うような気がします。

色の世界は、大きく分けて2つあります。それは、1つは物理的な現象。もう一つは心理的な現象です。前項での「色が違う事件」は、実は物理的な問題だけではなく、心理的な問題でもある可能性があるのです。

私たちは普段何の気配りもなく「色が違う!」と言うのですが、それには「物理的に色が違う」というときと「心理的に色が違う」という場合あります。この2つの違いをしっかりと意識し、「色が違う!」という時に、物理・心理のどちらのせいなのか、それを分けられるようになるとナイスです。

この続きはまた後ほど・・・